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庄内の竹竿にはニガタケの竿のみならずヤダケ竿、布袋竿すべてに原則的に根がついていることが当たり前だと思われている。それは関東、関西の人たちから見れば異常だと思われるかも知れないが、すべて竿を少しでも長く使いたいとの考えから出発したものなのである。しかし、それらの竿は実用面から見ると意外と握りの具合が良く、しっとりと手の中に馴染むものが多い。その為か、根の形も見て楽しむ美的鑑賞の対象にもなって来た。殊に煙で燻されたあめ色に変色した竹竿は、人工的に漆を塗って作られた竿とは一線を画す奥深さを感じさせる何かがある。かつて井伏鱒二は、アメ色に変色した古い庄内竿を見て無類の感動を受けた事を本に著している。
竿全体の姿形のみならず、根の形をも美的鑑賞の対照としていた庄内の釣り人たちは根っからの物好きな人間たち(竿バカ?)であった。それに当然のことながら実用性が加味されたものでなければならないことは当たり前である。庄内にはその昔自分自身釣りはしなくとも、美的鑑賞の為にのみ竿の収集を行ったお金持ちの好事家が少なからず居たのだから、安竿しか買えぬ者から見たら開いた口がふさがらない。逆にお金に糸目を付けぬ物好きなお金持ちの好事家が沢山居たから、明治以降何人かの名竿師が育ちそれらの人たちも何とか飯が食えたのだと云えるのかも知れない。安竿しか買えぬ者ばかりでは、竿師たちは生活が成り立たず、かと云って良い竿ばかり作っていられないからである。現代では大都市で有名にでもなれば別だが、東北の田舎の片隅では良い竿を作っていては、到底生活はおろか飯を食うことは中々出来るものではない。庄内と云う昔から釣り馬鹿の多い特殊な土地であったからこそ、それが出来たのであろう。
さて根の形には大きく分けて芋根、ゴボウ根の二つと、そのどちらでもない中間型の三種類に分けられる。この形は根が地中の何処まで深い所にあったかに関係している。比較的浅いところ(10〜15cm程度)にある根は冬の季節風に風に負けまいとして横に広がるから芋根になり易い。一方ゴボウ根は、地中深い場所に根があって少々の風では倒れない。地中深い場所にあるためにゴボウのような細長い形をしている。その中間型も時々見られる。長い竿は手元が太い為に芋根だったりすると、根のゴツゴツの切り口が手の平に当たり、長時間持つと手が痛くなると云う欠点がある。実用的な長竿はゴボー根の少し尖がった槍形の物が持ち易いとされている。4間(7.2m)クラスのものになると殆どが槍形の根になっているようだ。美的鑑賞の観点から見ると少々落ちるかも知れぬが、世に名竿と呼ばれるものもこの形が多い。いくら名人が作ったと云う名竿と云われていても、所詮釣竿なのだから使わなくては竿とは云えない。
竿の根をしっかりと握り竿を振った時に、手の中でしっとりと馴染むものが最高とされる。その感触が個人的に色々好き好きもあるのかも知れぬが、何故か同じ芋根であってもしっとりと来るものと来ないものがあるから不思議である。この感じを竿の鑑定では酒田随一と云われた本間祐介氏は手の内と表現した。
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